可哀想なわたし。

また、岡田哲也さんブログお借りしました。

だって、まさに数年前の私だから。

というか私そのもの。

常に可哀想だったんです。

住みたくもない国に住んで、(韓国ね。旅は楽しいのよ。住むのは、別。しかも韓国人姑とかありえませんっ。)

子供産んで、自己防衛剥き出しで、子猫産んだ母猫みたいに、シーキー

と牙だすみたいな。

私の子猫ちゃんに触るな!!

から始まった孤独な子育て。

姑から逃げるべく、

オーストラリアにやってきた。

あー、孤独って素敵。

孤独って自由だわ。

が、どんどん寝ない子供、泣く子供、叫ぶ子供、に自由の感覚が一切奪われる。に変わる。

当時の夫は、仕事人間。食べる為には働かなきゃいけないんだっていう普通の人。

夜中の授乳は35分に一回。寝不足にイライラも募る。

母猫の防御と、生まれ持った性格で人見知りも酷くて、スーパーで誰かと目があっては泣き、話しかけられようものなものなら、殺されるんじゃないかという程の騒ぎ用。

私とは2人だといつもハッピー。テレパシーで話すくらい。

幼稚園でもそれは続き、私から離れられない。

吐くまで泣く。

精神科医を紹介されるほど。それでもって、社会不安性障害。場面緘黙症などと、病名つけられる。

それで、私の目が覚める!

4歳児に薬を処方しようという某アジア系人の医者。絶対にありえない。

いいじゃん、別に幼稚園行きたくないなら、行かせなくて。

受け入れ始めたら、楽になった。

それで、導かれるように州越えの引越しをして、

数あるなかの、山の中のシュタイナー学校に行ってみたら、

大丈夫だった。。。。

ここには、コミュニティがあって、みんなが助けるあってる。

困ったら御飯作ってくれるし、子どもの送り迎えもしてくれる友達がすぐできた。

アジア人すら殆どいない白人社会で、みーんな優しかったー。

信じ始めた。

力が抜けた。

不自由で可哀想な鎖は自分が自分にかけてた。

ママの私が楽になったら、子供が楽になった。

一言も話さなかった子が、今はペラペラお喋りが止まらない。

キュって硬く閉じてた蝶のサナギがゆるんで蝶になって、飛び回る。

っていう詩を、6年ほど前、担任の先生が子供のことを思って書いてくれた。

ホントにそんな感じでね。

子供の可能性を信じる。

親は可能性を作るのものじゃなくて、

この子は大丈夫だっていう根拠の無い自信が、子供を健全に育てるんだと思った。

この自信は、自分の中のバランスから生まれるんだよね。

それでも、私の手から子供たちを手放したくない時もある。

それは、それでいい。

一緒にいたいから。

誰にも、昔の夫にすら、子供を触られたくなかったくらいの私が、

今はたくさんの人に可愛がられて、緩んでいくのが嬉しい。

継父と転がって遊ぶうちの子供たち。

お父さんが2人いるってすごい楽しそう。

離婚が可哀想とか意味が分からない。

愛してもらえる人が増えた。

幸せだよね。

ある意味でわたしが目指しているのも皆が集まるシェアハウスとかヒーリングハウス。

わたしは森のリトリートと名付けたんだけどね、

日本からオーストラリアにやってくる人が、

家に帰ってくるような、羽を広げられる、自由をマニフェストできる家。

子供たちにも、もっと、日本人と楽しむ時間を持ってもらいたいからね、

やっぱりこの計画は、実行するしかない。

コスミックライトセラピーしてます。

予約は

mayumigmailcom

まで。

内容は過去のブログ見てねー