御心が天でなされるように 2

「JKお散歩店」と呼ばれる店で女子高校生に性的な行為をさせていたとして、警察は元従業員の男ら2人を逮捕しました。

児童福祉法違反の疑いで逮捕されたのは、「なにわ学園お散歩部」の元従業員・金敬造容疑者(47)ら2人です。金容疑者らは今年3月、男性客(36)と当時17歳の従業員の女子高校生を引き合わせ、大阪市内のホテルで女子高校生に性的な行為をさせていた疑いなどがもたれています。

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「なにわ学園お散歩部」

柔軟な頭の持ち主でないと

浮かばない名称とも言えます。

ニュース報道で アナウンサーが

放送コードにかからないギリギリの 

学園名とは 一体どこまでなのでしょうか?

そもそも想像を掻き立たせるような

店名をわざわざアナウンスする必要性も

よくわからないのですが、、、

以前は 単に

「風俗店」とか、だったはずです。

ただでさえ

森とも 加計 早実初等部と 

ニュース報道の世界は

「学園天国」の様相を呈しています。

真の天国とは、どこにあるのでしょうか?

天国がこの地でもなされているとは、

どのようなことなのでしょうか?

そこは堕天使、小悪魔が

おじさんを接待する

「お散歩」天国なんでしょうか?

「御心が天でなされるように」の後半部分です。

・・・

私たちは自分たちの人生全般を支配したい、と思っています。

私たちは、自分たちの人生全般のために何が最善であるかを知っている、と思い込んでいます。私たちは神よりも自分たちが幸せになることをよく知っている、と思い込んでいます。私たちが神の場所を取って自分の人生をコントロールしようとするとき、私たちは神と戦っています。私たちは神と戦い続けているのです。

神の御心は私たちの人生全般についての思いとは反しているかのようです。

これが勝利できない戦争、闘いであることはわかっていますが、でもなお、私たちは依然として降伏したくありません。

イエス・キリストの福音の最も大きな謎の一つが、

私たちが負けると、実は私たちは勝ち続け、

私たちが神に降伏するとき、私たちが実は勝利を見つける、というものです。

「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」(マルコ8・35 どうぞお読みください)

もし私たちが神の意志に降伏しないのであれば、私たちは負けます。

これはアダムとイブの人生で知っている経験です。

彼らは神の御心に降伏できなかったので、すべてを失いました。

もし私たちが「天国で行われるように、あなたの御国が私の中で行われるよ」と祈るなら、

私たちは勝ち、生活の中で勝利がもたらされるでしょう。

しかし、降伏はほんとうに簡単ではありません!

私たちの意志を神の御心に降伏するのなら私たちは何を得るのでしょうか?

私たちはイエス様を手に入れます!

自分自身をイエス様に捕らえさせていただくことによって、

あなたは次第に自分を自由させていただけるでしょう。

私たちは現在あるいのちのため、そしてこの肉体が死んだとき、

来るべきいのちを得るようにイエス様を手に入れることは、

あまりにも重要なことです。

エス様を手に入れるということは今の勝利を意味し、

更に将来の勝利を意味します。

聖書は、私たちが死後に、

私たちのすべての行動について神によって裁かれるということを教えています。(ヘブル:9:27)

私たちがイエス様を知らず、私たちの人生にイエス様をお迎えしないのならば、

聖なる神の裁きの前に私たちは一人で立つことになります。

しかし、今私たちがイエス様を知り、心に得ているとき、

私たちは一人で神の前に立つことはありません。

エス様は私たちと一緒におられます。

エス様は私たちの弁護人のようです。

しかし、彼はそれ以上です。イエス様は私たちの義なのです。

誰も自分自身の中に神の義を持っていません。

私たちはすべて、利己的で罪深いことをし続けています。

しかし、私たちが神聖な神の前にイエス様と共に立つとき、

神は私たちの罪深さを見ません。

神はイエス様の義だけを見ます。

私たちは、イエス様が十字架で死ぬことによって私たちのためにしたことのためにのみ、

神によって受け入れられます。

私たちは、この世で行った何か良いことのために神に受け入れられることは決してありません。神に受け入れられるのは、

私たちのイエス様との関係だけです。

マルコ10章15節にこうあります。

エスは言った。 ...小さな子供のように神の王国を受けない人は、

決してそれに入ることはありません。

エス様は一度聖書の専門家に言いました:

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。

その聖書が、わたしについて証言しているのです。

それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。

ヨハネ5:39−40)

聖書の教師は聖書を知っていましたが、聖書の最も重要なメッセージ

「イエス様のもとに来なさい」を断ったのです。

お祈りしましょう、

父よ、私は、今日何名かの人々が人生全般に渡りあなたの御心に降伏することが非常に難しいことを知っています。

しかし、今日ここにいる誰もがイエスをお迎えすることを拒ばないように祈ります。

彼ら自身の意志を捨てて、あなたの御心で人生を見つけなければならない人たちに、

勇気を与えてください。

エス様の強い御名の中で 私は祈ります。

アーメン。