読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

美濃路244 起堤町の神社と渡船場

大明神社東側の三社の境内社に向かう参道脇には

拝殿と渡り殿の境あたりに磐座(以下、東磐座:下記写真右)が祀られていたが、

西側の大福稲荷社の参道と大明神社社殿の間にある通路にも

磐座(以下、西磐座:下記写真左)が祀られていた。

まるで、狛犬の原型のように、

二ノ鳥居から本殿に至る大明神社の中心軸を中央にして、

左右に対の場所に置かれている。

大明神社の中心軸の左右に対で設置されているものは、

狛犬や石灯籠、常夜灯、篝火篭は当然として、

朱ノ鳥居(境内社大福稲荷社)と白ノ鳥居(境内社三社)もそうだった。

それだけではなく、磐座が、もう1基あって、

美濃路から本参道を下って来て、左折して二ノ鳥居に向かうと、

すぐ左端(西端)に磐座があり、その裾をフイリヤプランの葉が隠していた。

(写真左)

石の脇には「払い所」とマジックペンで書かれた杭が立っている。

この磐座と対になり、東端に設置されているのが、

同じく身を清めるための井戸とその隣に並ぶ手水桶だった(写真中)。

対になっていることとは別に、井戸の井桁は「山」形に1枚岩を削ったものを

2点づつ上下を逆にして組み合わせたもので、もっとも単純な構造ながら、

お互いの窪み同士を矩形に組み合わせるだけで、

石自体の重量で、しっかり組み上がるものだった。

手水桶もそうだが、ここでも石が表参道の両側に置かれていることになる。

石は物部氏の文化であり、これらの磐座が

大明神社の地に物部氏が祀った遺物であるとするなら、

この神社は以下のような三層構造になっている可能性があることになる。

藤原氏蘇我氏物部氏

あるいは朝廷に倣って、ただ、祭神が変遷しただけだろうか。

大明神社を出て、愛車に戻り、さらに美濃路を北上した。

現在の美濃路は120m以内で

濃尾大橋を渡る県道18号線とクロスした交差点で左折して

濃尾大橋に向かうのだが、かつての美濃路はさらに220m近く北上して左折し、

起渡船場(おこしとせんば)から船で対岸の新井(現・羽島市)に渡っていたのだ。

そこには「起渡船場」と刻まれた板碑と石碑が並んでいた(写真右)。

これらの記念碑の並びに教育委員会の製作した案内書があった。

すでに前に日記で紹介した内容と重複する部分を省くと、

「愛知県指定文化財

   史跡 《起渡船場跡〜定渡船場跡〜》

 美濃路の起渡船場には3ヶ所があったが、常時お利用されていたのは定渡船場である。

 江戸時代初期から、渡船場には定渡2艘・置船1艘・御召渡船1艘の合計4艘が尾張藩御船手役所から預けられ、他に鵜飼船や馬船も置かれ、人々の伊浦井を支えた。旅人だけでなく、西国の陀異名の参勤交代や京都の公家の往来にも使用された。渡船場の実質的な管理は起宿の船庄屋が行い、船頭20人がいた。」

大明神社と起渡船場はともに起堤町(おこしつつみまち)に存在していた。